第13回視聴覚文化研究会/第2回神戸芸術学研究会(於:神戸大学文学部)で研究発表

yut-iida2008-11-19


11月15日(土)、生まれて初めての神戸。どういうわけか過去に一度も訪問する機会がなかった。

視聴覚文化研究会と神戸芸術学研究会との合同の研究会は、僕を含めて3名の発表。研究会の参加者すべての方と初対面という、これまでに一度も体験したことがない状況。事前に書いた要旨は以下の通り。

初期テレビジョンにおける「公開実験」研究 ―科学技術社会論/メディア論からの展望


飯田 豊(福山大学人間文化学部 専任講師)


地上波放送のデジタル化が進行し、インターネット放送やワンセグが普及を遂げている今、「テレビ」とは何かという問いに答えるのは、決して容易なことではなくなってきた。これまで報告者が試みているのは、われわれの生活に根ざした「テレビ」という科学技術について、「放送」や「マス・コミュニケーション」といった概念との関わりを自明とせず、その成り立ちを根源的に問い直すことである。とりわけ、昭和初期におけるテレビジョン技術史を解釈し直し、博覧会や展覧会、百貨店の催事場などで人気を博していた「公開実験」の変容に焦点をあてることを通じて、いかなる視聴空間のあり方がかつて模索されていたのかを明らかにしてきた。

その第一のねらいは、メディア史というアプローチがこれまで目指してきた通り、今日の「テレビ」のあり方を異化する歴史社会学的な視座を探ることであり、多言を要しないだろう。第二のねらいは、より実践的な問題関心にもとづくものである。メディア論において社会構築主義の視座が共有され、メディアの今日的様態を相対化する知見が蓄積された末、その可能的様態を発現させようとする実践研究が、近年さまざまなかたちで試みられている。報告者自身、そうした活動を精力的に展開している一人であり、メディアのあり方を社会に向けて実験的に示すという営みのダイナミズムについて、歴史社会学的な観点から意味付けておくことが、今、緊要だと考えている。

このことはメディア論に限らず、科学技術社会論の潮流と通底する。科学は論理的に首尾一貫し、客観的な実在を反映した確証的知識であるという考え方と決別し、80年代以降の科学論においては、クーンのパラダイム論の影響下で、科学の社会的構成が議論されてきた。こうした動向は技術論とも深く関わりながら、科学や技術の柔軟性が論じられ、その相対化が(時として過剰に)試みられてきた。このような議論を踏まえて、多くの科学技術分野で近年、専門家と非専門家のコミュニケーションのあり方として、専門家の研究開発活動の成果を非専門家が理解するという欠如モデルではなく、研究開発段階から非専門家が、専門家共同体の意思決定や方向付けに参画していく相互作用的な関係が求められるようになっている。

さまざまな科学技術が日常生活のあらゆる領域に浸透している現在、メディアと人間との望ましい関係をデザインしていくためには、その生産と消費の相互作用、専門家と非専門家の対話が不可欠である。この報告では、初期テレビジョン研究に取り組むなかで得られた知見を具体的に示しつつ、科学技術の専門家と非専門家、あるいはメディアの送り手と受け手が、お互いに初めて接触し、交渉しうる具体的な場としての「公開実験」に着目することの意義を考えたい。


この報告は、平成20年度日本学術振興会科学研究費補助金(若手スタートアップ)に採択された研究課題「科学技術コミュニケーションの歴史社会学科学技術社会論とメディア論の接合に向けて」の成果の一部である。


前川修先生のブログ。

  http://d.hatena.ne.jp/photographology/20081115

率直に言って、あまりうまく話すことができなかった。発表時間は30分。前半ではこれまでの歴史研究の成果を紹介し、後半では美学・芸術学とのディシプリンの違いを念頭に、実践的な問題意識を踏まえたメディア史研究のあり方について(日ごろ悩ましく思っていることも含めて)構想していることがらを述べたのだけれど、どちらもざっくりと話すことしかできなかったので、説明が不十分に終わってしまったことは否めない。質疑応答で浮き彫りになったことだけど、用語系の違いも大きかった。

片方に絞っておいたほうが、発表としてまとまりがあったことは間違いないのだけれど、歴史的な知見の紹介に特化するだけでも、ましてやディシプリンの違いを整理するだけでも不十分で、あえて両方のことに触れなければ、わざわざ研究領域が異なる僕に声を掛けて下さった意味が薄れてしまうと思ったので、方針は間違いなかったのだろう。というのも、僕が乱暴に喋り散らしたことがらを、打ち上げの飲み会でみなさんが丁寧に拾って下さり、有益な意見交換ができたのでありがたかった。今後ともよろしくお願いします。

2次会に途中まで参加。わざわざ駅まで案内して下さったにも関わらず、電車では最終の新幹線に乗り継げないことにホームで気付き、改札を出てタクシーで新神戸まで移動。間一髪で間に合った。