『共通感覚論』
情報学環の同級生たち数名で、2週間に一度、中村雄二郎『共通感覚論』(1979年)を精読する勉強会を始めた。現代美術を議論の軸としつつも、参加者のバックグラウンドがあまりにも違い、話がどうにも噛み合わないところがスリリングで面白い。大学の講義やゼミであれば、わりと容易に要点がまとまるところだろうが。
この勉強会に臨むに先立って、あくまでも自宅にある限りだが、中村氏の他の著作(『臨床の知とは何か』、『術語集』、『宗教とはなにか』など)、あるいは関連書籍を開いてみた。僕の関心からすると、科学哲学者の野家啓一氏が、生活世界の現場における共通感覚と実践的行為の連関から、歴史哲学におけるアクチュアリティズムの可能性を見出していることが、とても興味深い。
身体を軸にした諸感覚の統合がその力を発揮するのは、われわれがまさに「行為」の一挙手一投足を始めようとするその瞬間なのである。[…]共通感覚が十全に機能する場とは、実践的行為が営まれる生活世界の現場なのである。
この共通感覚と行為との連関に目を留め、それらが切り結ぶ場を「アクチュアリティ」と呼んだのは木村[敏]氏である。それは近代科学が追求してきた客観的「リアリティ」とは区別されなければならない。*1
歴史的過去において「アクチュアリティ」に相当するのは、強いて言えば現実に入手可能な歴史史料、すなわち遺跡、遺物、文書、絵画、伝承などがそれに当たる。これらの史料は現在時点で知覚可能であると同時に、単なる物理的事物ではなく、過去の痕跡という意味作用を発揮し続けているからである。歴史学者の努力は、こうしたアクチュアリティから出発して、歴史的過去というリアリティを文字通り「構成」することに傾けられる。言うまでもなく、その構成は過去を「物語る」という言語行為を通じて行われるのである。しかも、その「物語り」はリアリティを構成するものである以上、リアルな時間軸上の上に諸々の出来事を整合的に配置するとともに、さまざまな証言や物的証拠と矛盾しない合理的受容可能性をもつものでなければならない。[…]したがって、リアリティもまた静的に固定したものではなく、動的に生成していくものなのである。
体験的過去であると歴史的過去であるとを問わず、リアリティは「物語り」に媒介されつつアクチュアリティのただ中から生成していくものに他ならない。それゆえ、「物語り」とはアクチュアリティとリアリティとの懸隔を埋め、両者を架橋する言語装置だと言うことができる。*2
こんなネタを持ち出すから、話が噛み合わないんだな。
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