山中善和さん(中国放送 元アナウンサー)を訪問

yut-iida2008-11-05


10月27日(月)、尾道へ。中国放送RCC)の元アナウンサー山中善和さんのご自宅を訪ねた。

山中さんはRCC(ラジオ中国)の開局時に入社された、一期生のアナウンサー。70年代までカープ中継の第一人者で、1975年にカープが初優勝したさいには、既に現役をしりぞいて東京支社の次長さんだったにも関わらず、後楽園球場にデンスケを持ち込んで優勝の瞬間を実況録音したという伝説を持つ方。同年に『やったぞ!カープ』という著書を上梓されている。現在は尾道市議会議員。77歳。

ちょうど今、問題構制をまとめた論文を書いてるところだけど・・・備後地方のテレビ草創期の話をおうかがいするのが、山中さんにご連絡を差し上げた動機。この日はご挨拶のみのつもりでおうかがいしたのだけれど、数多くの貴重な史料を用意して待ち構えて下さっていて、実に3時間近く、僕との話にお付き合い下さった*1。そのうえ、わざわざ松永駅(大学の最寄り駅)まで、ご夫妻が車で送って下さった。申し訳ないです。

テレビ草創期の話もカープの話も興味深かったのだけど、それにも増して、山中さんが大事に所有されているという、ドイツ製の電動ピエロ人形の話がとっても面白かった。今年の春に市庁舎で公開されたときの写真が、以下のサイトに掲載されている。

   http://www.fmo.co.jp/2008/05/12-105017.php

1936年にドイツで製作された人形で、山中さんのお父上が取り寄せたものだという。台座のところが精巧な機械仕掛けの紙芝居になっていて、山中さんは幼いころ、こういうのがテレビジョンなのだろうと思ったらしい。今年の公開にさいしては「くいだおれ太郎より先輩デス」という触れ込みだったそうだが、時代背景を踏まえると、この人形の幼少期は興味深い。1936年のドイツといえば、ヒトラー政権下でベルリン・オリンピックが開催され、機械式のテレビジョンによる実況中継が試験的におこなわれた年。紙芝居の部分は当初、ショールなどを宣伝したモダンな広告だったそうだが、1940年には日独伊三国軍事同盟の国策宣伝になったという。

このエピソードを枕にしたエッセイを執筆中。

*1:もちろんカープの話もたっぷりと。福山でカープを盛り上げるために、僕も一役買うことになった。くわしくは別途。