テレビジョン・スタディーズ研究会(第4回)のお誘い

 『テレビジョン・スタディーズ・シリーズ』は、これまでせりか書房から刊行されてきた『メディア・スタディーズ』、『メディア・プラクティス』、『なぜメディア研究か』、『テレビはどう見られてきたのか』、『沖縄に立ちすくむ』、『日式韓流』などに続き、新しいメディア研究のパラダイムを、特にここでは「テレビ」に焦点化して、博士課程の院生や助手といった若手研究者の作品を一挙に刊行していくことで、世に問おうとしているものです。
 この研究会はすでに、各自が執筆構想を発表した第一クールを終えており、現在は第二クールとして、研究会をオープンにし、テレビ研究・メディア研究に関心のある方々と意見交換を行いながら、月一回のペースで草稿の検討会を開催しています。
 第4回は以下の内容で開催致します。事前申し込みは不要です。
 皆様のご参加をお待ち申し上げております。


日時:
  2月8日(木)18:30〜21:00

場所:
  東京大学大学院情報学環 本館6階会議室

報告者:
  高野光平(東京大学大学院文化資源学研究室)

テーマ:
  もうひとつのテレビ広告史 ーフィルムと生とカードの時代


要旨: 
 初期のテレビCMを題材とした、オーソドックスなメディア史の本を書くつもりである。
 初期のテレビ放送では、CMというカテゴリーの輪郭が定まらず、また、定まってからもしばらくは現在と異なる考え方だったために、今日の視点から見るとさまざまなオルタナティブ(異形)が見出される。スタジオの飾りつけや看板によるCM、専属タレントやアナウンサーによる生コマーシャル、テロップによるスーパーCM、スライドによる「動かない」CMなどなど。その中にあって、今日の形態に近いフィルムによるCMもまた、長さが150秒や5秒だったり、オープニングと合体したり、中継の最中に画面の一部を削って出したりなど、存在の仕方はバラエティに富む。
 こうした初期CMの多様性を詳しく紹介・分析することを通じて、私は、互いに位相の異なる、しかしながら一本の線で結ばれた、3つの課題に取り組みたいと考えている。
 第1に、テレビCMの歴史のうち、これまで光を当てられてこなかった部分をきちんと書くことである。今日、テレビCMの中心は数十秒のショート・フィルムであり、そこに関わる人や組織が業界の中枢を占めている。そのため、CMの歴史もショート・フィルムの歴史として記述され、ショート・フィルムのアーカイブが構築されている。その他のCM形態は、初期において、あるいは地方においてかなりの割合を占めていたにもかかわらず、すっかり「秘史」となってしまった。
 業界の立場を考えれば仕方のないことであるが、記述主体の偏りによる歴史のゆがみを、研究者の立場から直し、再構成することは少なからず意義がある。メディアの歴史に学び、メディアのこれからに提案力を持つために、当時の資料や言説に依拠したCM史の書き直しを試みたい。うまく書ければ、広告研究において初のまとまった「ノンフィルムCM史」が世に問われることになる。
 第2に、そうした書き直しを通じて、ある種のメディア史的考察をおこなうことである。すなわち、現在の比較対象としての「初期」の分析を通じて、テレビCM、ひいてはメディアやメディア・コンテンツというものが、形式的にも内容的にも、同時代の物理的・社会的・文化的な条件に強く意味づけられていることを、相対的に浮き彫りにする。同時に、送り手(広告主・代理店)、作り手(プロダクション)、流し手(テレビ局)、言説(一般誌、専門誌、理論)、受け手(視聴者)などのさまざまな主体のかかわりのうえに、CMは形をあらわすものなのだということを、歴史的比較から確認する。
 このように、歴史のオルタナティブからメディアの存在構造を学ぶことは、メディア史や文化史の主題である〈誕生〉論の、標準的な問題設定であるだろう。本書もまた、〈誕生〉論のケース・スタディとして位置づけられる。ただし、〈誕生〉論では「前史」を重視し、固定的なスタート地点を崩すことが重要な意味をもつが、本書ではほとんど前史に触れない。分からない、という事情もあるが、見切り発車以降の試行錯誤に重要な意味を感じるからである。そのあたりの違いを考慮して、タイトルには「誕生」の語を直接は用いず、たんに「メディア史」、あるいはオルタナティブへの注目を意味する「もうひとつの○○史」を用いたい。
 第3に、CMの歴史を書き直し、CMの存在構造を相対化する作業を通じて、そこに注目する「私自身」をつねに忘れないようにする。というのは、私自身がCM史に取り組む動機は、歴史的比較を通じた現代メディアの相対化にあると同時に、テレビCMの歴史が、純粋に好奇心をそそられるロマンの対象でもあるからだ。そのことを脇において、むやみにアクチュアルであろうとは思わない。ホメーロス紫式部の研究者が、かならずしもアクチュアルな問題意識に衝き動かされて研究しないように、メディア史の研究者にも、ロマンや知的好奇心に拠っている人は多いはずだ。
 もし昨今、メディア史にロマンを感じる若手研究者が増えているとするならば、その現象自体がある意味、アクチュアルな問題である。それはなぜなのか、志を同じくする若手研究者に自問してほしいと思うので、本書では「面白エピソード」や「驚きの事実」などを、図版やデータとともにふんだんに取り上げる。それらの面白さや驚きを味わってほしい。まったくの隠しテーマであるが、私たちの世代のメディア史にとって、大事な寄与だと思う。