近況報告(6月後半)

6月後半の主な出来事を走り書き。

  • 6月16日(金)、大手町で産学連携の共同研究の打ち合わせ。問題設定をめぐって互いに認識を共有するまでには、もう少し時間がかかりそう。これについてはまだ準備期間なので、正式に発足した時点で詳しく書くことにしたい。その後、本郷の水越ゼミに合流。嶋田厚先生のお話。あまり遅れなくて良かった。桂敬一先生、後藤和彦先生に続いて、マスコミ論の揺籃期の空気を生で味わう。終了後、嶋田先生を囲んで10人ほどで飲み会。
  • 6月17日(土)、午前中から吉祥寺へ。お馴染みの紅白の服装で散歩中の梅図かずおに朝から出くわすと、今日一日よいことがありそうな気になる。午後3時より、ICCのオープニングシンポジウム第二回「オープン・クリエイション」の第一部、「ネットワーク時代の発想と実践:見知らぬ社会を発見するために」に参加。インゴ・ギュンターさん、鳥海希世子さん、水越伸さんという顔ぶれ。メディアアートと市民メディアを架橋することで、メディアセンターの新しい意義を模索するという試みで、毎週開催されている一連のシンポジウムのなかでは異色。同時通訳を介していたためにうまく噛み合なかったところもあったが、ICCが換骨奪胎する可能性を秘めている討議だったと思う。しかし・・・定員400名ということで告知されていたが、観客はわずか40人程度。シンポジウム会場の外、常設展示の部屋も人はまばら。リニューアルオープンして間もない週末にしては、あまりにも閑散としていて空しい。今のままでは非常にまずい。exonemo久保田晃弘さんが登壇する第二部も聴きたかったのだが、夜は渋谷で高校時代に通っていた塾のOB会に顔を出すことになっていたため、残念ながら不参加。

科学の知識は、大学とか学会とか出版といった俗っぽい枠組みとは関係なく、正しいことは正しい。

と、思われているけれど、いわば物理学における観測の問題と同じで、知や真理は入れ物(メディア)の制約を受ける。

昨日は、学環でミーティング+飲み会。飯田豊さん(http://d.hatena.ne.jp/yut-iida/)は、科学技術がその枠組みの中で生まれる研究をメディア論的に展開していて、僕らがリアルタイムに読んでいた創刊当時のトランジスタ技術やIOなど、アマチュアとプロの狭間に生まれた雑誌を研究対象として読んでいる。飲みながら、当時の話を若い飯田さんとしていると、時間軸がゆがんで面白い。

水越伸さんが、別の文脈で「他人の論文を読みすぎると、罠にはまる」と言っていたけれど、あらゆる知識はそういう言語ゲームの中で生まれる。デリダが偉大なのは、大量の論者に大量の仕事を作ったから、という言い方もできる。ウィトゲンシュタインが、ほとんど他の哲学を引用しないで自分の哲学を組み立てていったのは、罠を避けたのだろう。

  • 6月23日(金)、〆切厳守の原稿を脱稿。午後、カルチュラル・タイフーンの会場となる下北沢成徳高等学校の下見。予想していたよりも時間を要したが、学内のさまざまな備品や機材をお借りできることになったので安堵。とはいえ、会期まであと1週間しかないことに焦り、帰り道、吉祥寺のユザワヤでスクリーン代わりの白布などを買い出し。プロジェクション専用の白布があるとは知らなかった。
  • 6月24日(土)は終日、宮田雅子さんと佐藤翔子さんが主催するワークショップに参加。目白台の東大病院分院跡地にて。盛況のうちに終わったのでまずは良かったが、主催者の二人は朝から晩まで作業に追われていて、参加者の様子をあまり観察する余裕がなかったのではないかということが少し心配。僕はおおよその段取りをあらかじめ知っていたせいか、僕が加わったグループはちょっと手際が良すぎた気がする。動き回りすぎて筋肉痛。
  • 6月26日(月)、『Mobile Society Review 未来心理』のケータイサイトのためのテキスト(著作紹介)を書く。誌面に載っているQRコードを使ってアクセスすると読めるらしい。3月に撮影した動画も配信されているらしいが、怖くて見れない。
  • 6月27日(火)、Quake Centerの勉強会。4月から月に一回のペースで続けていて、まだまだ行き当たりばったりだが、ようやく軌道にのってきた気がする。